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一昨日もありがとうございました!

素晴らしく、本当ーに楽しい一夜でした。

ご来場頂いた方々本当にありがとうございました!!!

最高な共演者はもとより(一昨日も素晴らしい音色!・・・共演者ながら、いつも感動してしまっています・・・)
お客様も素敵な方々ばかりで、なんだか周りから、たっくさんの力を頂いちゃいました。
本当に、とても暖かいお客様ばかりでした。

私たちからは、皆様に、元気!や何かをお届けすることができたでしょうか。



見守っていて下さる方々に、本当に感謝します。

改めて、ご来場、本当に、ありがとうございました。
お店もとっても素敵な空間でした。
マスターも、本当に、ありがとうございました!


いつもブログ更新遅く&長文乱文すみません(^^;

Twitterなどで世の中がいい意味で軽やかになる昨今、
なんだか、まだまだ軽やか~に生きれず、時代に全然即してないかも(>_<)な中島ですm(_ _)mが、
少しずつ自分なりに軽やかに!?生きれるべくがんばります!ので、
いろいろ、至らぬ点は、お許しくださいませ・・・
m(_ _)m

そして早速重~~苦しく?!、
少しだけ、ここ数ヶ月の反省もこめて(^^;最近感じたことを徒然にいくつか、、、、

つまらないことばかりですみません!長文乱文読み飛ばしちゃって下さいーm(._.)m


実は、少しだけ、最近迷いがありました、。
正直言えば、まだ抜けてはいないかな。

「ジャズ」という言葉、存在を自分の中でどう受け止め消化すべきか、。
今までも何度も立ち止まっては抜けた!ということを繰り返していますが、
懲りずにまた網に同じようにひっかかります。
ジャズ、現代音楽、クラシック、ロック、レゲエ、、。
なぜ、ジャズ畑、現代音楽、などとわける必要があるのか。、、、
ジャズとは、鍛練と思索により新しい道を切り開いてゆく音楽であり、生命の叫びだ、と思います。
だから、スタイルは関係ないはずだ。

・・・と思いながらも、
スウィングの感じ、過去の偉人たちの音、
決して無視はできない、まだまだ真新しい歴史がそこにあり、
やはりその、叫び声のような呪縛の奥を、より踏み込んで見たい、という衝動は捨てがたい。
そして、時に、思わず、自己という幻影がふらりと揺れて、迷いこみ、見失う。
・・・でも、しばらく、もっと迷いこんで、何か今の自分なりの答え?を手にしたいと思っています。

私がジャズに惹かれた理由の一つが、正直その知的作業の魅力よりずっと、
まず、それが生々しい人間的なものであること、人間と人間の言葉にならない本気の対峙である点でした。

正直なかなか今はライブ数もたくさんはできないため、限られた中で、ジャズ特有のアンサンブルの感覚、ノリ、そして、バンドを動かすコツや魔法の種、を磨耗させず、磨いてゆくのは、正直なかなか難しいものです。
どうしても一人での練習だけではつかまえきれないものがあるなぁ(-_-;)とも感じたりする最近です。

(といっても、実際、私はとても恵まれていて、いつも、共演者が最高な懐深い優れた音楽家ばかり!なので、
非常に心開きやすく、いつも奇跡のような瞬間へと導いてくれています。
改めて、本当に、ありがとう!!!
メンバーもお客様もマスター方も友達も皆様大好きです!!!\(^o^)/)

まぁまず何よりも演奏は、練習ありき!ではあるので、少しでも時間を見つけては練習し&練習の質ももっと高めねばならないのですが・・・

ただ、今はライブ数がこなせない分、
現代音楽を勉強してみたり、音楽とは?という根源的なことを振り返るという余裕も、かえって生まれていますし、
それは自分の「音楽」を深め広げてくれている自信はあります(そして母業や教師業を含め、全ての日常の大切な瞬間瞬間が、人間の出会い、アンサンブル、を教えてくれ、音楽にとっても、大切な肥やしとなっています)が、
それでももっともっと意識して、現場での感覚、演奏の感覚、アンサンブルの醍醐味、即興での展開の効果、を磨いてゆかねばならない、とも思っています。

そうしたことによって、益々、自分や周囲の感覚をもっともっと開いて、他者へと(お節介ではなく、本当の意味で)踏み込み合う、優しい、珠玉の体験へ導いてくれるはずだから。

最終的な目標は(もっと技術的にも自由に開放され)本質的な交流を楽しみ感じることに、もっともっと専念したい、ということ。

音楽とは、この演奏はジャズ畑か現代音楽かクラシックか・・・を云々したり、「アドリブ」を磨き競うだけのものではないはずだ、と、感じています。
その場にいるみんなが(聴いている方々を含め)感覚を各様に開き、言葉や余計な鎧のない海に放り出される、。
混沌と、爆発と、共存の瞬間。
一つの、一期一会の「体験」そのものが音楽ではないかと、私自身は感じています。

音楽をするとは、
絵を描くのと同じく、
職業や、ステージの上か下かなど関係なく、
老若男女、
国境も背景も年齢も越えて、
万人に開かれた、奥の深い「遊び」であり、
だからこそ、無条件に「生きる」ということと直結する。感動する。

そして、逆説的ですが、
だからこそ、地域、文化、年代、その人の人生、など各々のバックグラウンドが、非常に、全てがポジティブな意味で、大きな意味を持つ。

また、その生命的な遊びは、最終的に、一人ではできない。
数学も物理も、いまは、一つ一つの要素の個性以上に、
それらの「関係性」、こそに意味がある、(むしろ、互いに区別がつく「モノ」は存在しない、波のように互いが出会い影響しあい形を変えてゆく、あるいは関係性にこそ実態が投影される)というような発想が強くなっているような気がしますが、
これは私達一人一人が生きる、この世界でも、同じようではないかなぁ、と思います。

そういう意味でも、ジャズという音楽?は最っ高に面白い。
(クラシック?は音楽表現の幅は、正直、全般的にはジャズよりずっと緻密で丁寧で素晴らしい、、、最近かなり改めて学びはじめています。
が、やはり近代化の中での制限の一つは、職業分化に伴う、自由の余りな束縛かもしれない。作曲や演奏という点で、即興性や奏者の個性、他者の存在を尊ぶジャズから、学んでいるものもあるのかもしれない。)
ジャズでは、即興演奏の中で、互いのエネルギーが交歓され、相乗的に音楽をさまざまな方向へと波打たせる。
ときには奇跡も失敗も、ぎこちなさもスリリングな丁々発止も、繰り広げられる。
その中では各自の個性がそのまんま輝き、
ときには割りきれないものも、それまた人生だと、輝く。

最高で、暖かくて、ある意味無性に怖くて、なんだかとにかくぞくぞくわくわくする。

過去では、個人的には、やはり、特に、主に黒人たちが「ジャズ」をまさに生み出した、あの当時(四十~七十年代前半)の音。

あそこには、本当にまさにあの瞬間瞬間新しく探られ産み落とされているからこその(方法、リズム、ハーモニー、哲学全てにおいて)ビンビンと生々しい新鮮さやエネルギーがあります。
生々しい人間たちの本気の衝突が、ある。
・・・今まで、多くの音に、非常なる感銘を受けてきました。(今は、モンクやアイラー、コルトレーン、が、特に好きです。)

ただ、何だか若輩者が偉そうで申し訳ないのですがm(._.)m、
ある程度理論分析も進み、肉体的な感覚も薄れ、昔の呪縛にひきずられがちな時代からの「ジャズ」の多くには、
どうしてもそれだけの音の必然性や生々しさが感じられないときもある、、

なんだか、奇妙な安心感、「プロ」という言葉の皮相さ、スタイルや過去の遺産への甘え、依存、がありすぎてしまう、


これはあくまでも非常に個人的な意見ですが、
音楽とは、もっともっと、等身大で、素直で、自然で、だからこそ乱れも揺らぎも失敗も挑戦もあり、
そしてイキイキしたものでありたい、。
プロか、よい商品か、ではなく、場末のバーのセッションの中でジャズが生まれてきたように、
本当の意味で挑戦的で、そして自然体でありたい。

とはいえ、その「力を抜いた」、等身大のまんま、のびのびしたいい状態、っていうのを維持するのが、また実に案外難しいわけですが(*^。^*)

私達は日本人で、現代に生きていて、
五十年前のNYとはかなりいろんなものが違う。

日常では、素朴で自然なものの中にこそ、歓びや驚き、存在のきらめきがある。
過去の光を追い縋るのではなく、
その、日本人ならではの素朴な美意識や、無、無常なるものへの美意識、
いやいや実は奔放な自由さ!(え~じゃないか節笑)
を、さぐり、表現したい。 
(世界の誰と共演するにしても、本当の意味での軸をもちたい。)

(もちろん、一方で、演奏技術をしっかり磨いてゆくとともに、
そのための、新しい、現代の日本の自分たちならではの方法、リズム、ハーモニー、哲学も模索しながらですが。
例えば微分音やら、新しい音階の探求、噪音の生かし方、邦楽からの示唆、三や四にとどまらない分割の混在、音を無くすことによる耳を済ます力空間と繋がる力の向上、、、
いろんなことも、私自身、考えます。
まぁこれは、美意識を刺激していろんな束縛から開放する、魔法を探すための手段にすぎないのですが、、。

ただ、そういう試み、挑みが、やはり音楽を動かしてゆくのも事実。
・・・こういうことを一概に「現代音楽」とくくるべきでなく、
むしろジャズもまたそうして生まれてきた。
そして、スウィングが、生まれた。

クラシックや伝統音楽、ロックやレゲエなども同じく、(たとえ表面的な即興部分は少なくとも、「作曲家の頭の中」や、優れた指揮者、奏者の感覚やエネルギーによって、実に人間的で豊かな波を空間に送り込み、本質的根源的な対峙を生み出してきた。)さまざまな模索を緻密に繰り返しながら、人間の心の奥を掘り起こしてきた。
人と人の根源的な繋がりを夢みてきた。

音楽は、本当に、深くて、怖くて、面白い。


また、先ほども書きましたが、最終的には音楽とは受け身に聴くものでなく「体験する」ものなのだ、と思っています。
聴き手にも積極的に音楽をする覚悟も必要とされる、。
互いに、思いきって、感覚を開く、ということ。
それが、一番やりたいこと。
ジャズや音楽のひとつの大きな本質。
・・・それを、もっといろんな工夫の中で、模索してみたい。)

その人の生きざま、日常、音楽や人生の捉え方、歩み方、こそが、音楽を動かし作るはずなので、
「音楽」に真剣に向き合うなら、
ちまたのジャズ評論に溢れるように、必ずしもNYやヨーロッパ、過去などに拘泥すべきではないと改めて感じます。

でも、そういういろんなことが、言葉ではなく、きちんと演奏で表現し展開できるように、
また単純に、表現の幅をもっともっと広げられるように(過去への敬意や慕情も含め)、
もっともっと演奏の技術、精神力を高め、
ビジョンももっと鋭くクリアにし、
そして、何より、みんなで一緒に楽しめるような工夫をいっぱい探してゆきたい。

そして、光やパワー、、、
・・・元気を、小さなところから、世界中にまで、
届けたい。


まだまだ抽象的かもしれませんが、
それが、私の、トリオや☆∞※★&♭の、莫大な夢です。

・・・

がんばりま~す。


本当に長文乱文すみません、
なんだか最近ちょっといろいろいっぱいいっぱいな中島ですが、
もう少し落ち着いてがんばります。(;
どうぞ今後ともよろしくお願いいたします!


(強~い色彩や驚きの中に生命を感じた昔と少し違って、
最近は、何気ないことに、本当に、意味や、生きているという実感、よろこびを感じます。
普段の中では、最近、ピアノや数学を教えることそのものが、とても面白いとも感じています!(育児は言うまでもなく♪)^o^()

まだまだ未熟な教師ながら、
生徒さんたちの人生の一ページに出会え語り合える(醍醐味を伝えられる)ことが嬉しいし、楽しい。
本当に光栄なことだと感じます。
たとえ特に専門的な内容でなくても。
人生の一ページに立ち会えるなんて、本当に、かけがえのない素敵なことだなぁと感じてしまいます。

音楽や数学にはまりこみただただ夢中になるのは、この変人中島?、気性的に、
やっぱり、大好きなのですが、
でも、結局は何より、人と出会うこと、かかわること、がきっと一番好きなのかもしれない。

みんなに会えてよかった。

かけがえのない、ひとつひとつの、無条件に莫大な光たちに出会えるよろこびに感謝しながら、
何か私の音で、だれかの心がほっこりあったかく熱くなれるように、、、

もっともっと音楽精進します!
がんばらねばー!
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プロフィール

中島さち子

Author:中島さち子
(ピアノ、キーボード、作曲)
都内周辺のライブハウスなどを中心に活動中。自己のtrioや☆∞※★&♭(ZADI)などでは、自作曲を中心に活動している。
2010年2月より、中島さち子Trioの初CD「REJOICE」絶賛発売中。
rejoices


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