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音楽

音楽とは、生きているということと向き合うことに他ならない、と思う。
プレイのテクニックや模倣もやはり大切なことだとは思うけれど、
何より音楽に向き合うということは、
自分自身の、生々しい感覚や体験、
そして集団としての土壌に向き合うことであり、
日本人としての文化、伝統、美意識、歴史、現実は、
好き嫌いを別にして、
(音楽家として)避けては 通れない、切実な問題なのではないか・・・と、最近殊に感じます。

(日本のキリスト教を批判するつもりは全くないのですが)日本でキリスト教を学ぶとき、なにかしら少しだけ違和感があった。日本という国に後から添え木したような感覚・・・宗教のみならず、日本における音楽の在り方も、ファッションも、何より文化の捉え方そのものが、(各個個人の生々しい体験や、出会い方はもちろん別として!)全体としては、どちらかというと表面的なものや、なにかしらの、妙な違和感を感じてしまうことが、今もある。
果たしてこれは本当に日本人としての素直な自然な衝動、感覚なのかな・・・と。

個人的には、アルゼンチンに行ったときに、宗教が文化であり生々しい生活である、ということを、強く感じ、・・・衝撃を受けた。
初めて宗教というものを、少しだけ肉体的に感じ捉えられたような(正確には、宗教が、生々しい、肉体的な生活そのものである、という空間を、体感した)、そんな体験をしました。 
インド、ルーマニア、ポーランド、ロシア、スコットランド、鮮烈に、外国において彼らの「文化」というものを、生々しく生活感をもって感じたとき(もしかしたら外国の方は日本にきたときに強く感じているのかもしれない)、
相手の文化に刺激され驚きわくわくしたり共感すると同時に、
自分が日本人であるということ、その懐かしさと素晴らしさももどかしさも、
強く、感じた。

・・・・
もしかすると我々は、
ジャズの過去と最先端を懸命に学習する以上に、
自分自身が何者であるかを真摯に問うてゆくことが、
音楽という文化を創ってゆく立場として、非常に重要なことではないだろうか・・・
音楽とはやはり娯楽や流行や仕事の一つであるだけでなく、
本来、生活や文化に直結して育まれてゆくリアルな何者かなのではないか。


日本人として、ただただ欧米の後追いをして満足するのではなく、
文化、肉体的で実のある自分たちの文化というものを生々しく育んでゆくことに、もう、躊躇ってはいけない時代なのではないか。

もっともっと深く、真摯に自分自身とも向き合ってゆかねばならないのではないか。

日本人であるということ。
そして、さらに広く見れば、私達は、決して簡単なもの(スタイル)では近似しえない、複雑な「人間」、地球の一生命であるということ。

そうしたことを、音楽、そしてジャズという、異国の、全く異なる歴史の音楽の名詞を用いるときに、
逆に強く思い返す。

ジャズという音楽の凄さは、なによりも、まず彼らのリアリティーだ。
スタイルの探求以上に圧倒的に根源的な何かがあり、あくまでそのリアルな欲求の中からスタイルは進化を遂げたのだと信じる。
チャーリーパーカーもモンクもエバンスもコルトレーンもロリンズもマイルスも、
先にリアルな何かに突き動かされた衝動があり、
彼らの生の実相を真摯に探る中で、スタイルは自然と進化した。
生きているということの実感を、より率直に描写したり向き合うために、スタイルを広げ、挑戦し、
リアルな、本質へと、彼らなりに一歩ずつ、歩みを進めてきた。
だからこそ、彼らの音楽には、思わず肉体的に突き動かされるような何か、がある。
それは時代や文化と切って語ることはできない。
伝統音楽、民族音楽も、それは民族的集団的な美意識や生活や何かしらの衝動、欲求の中で同じように探られ育まれてきた。
(クラシックも、非常に個人を重んじる、西洋の、民族音楽だと 思います。)

たとえば、日本においては尺八の音は、竹藪の中をひゅーと吹いてくる風の音が至上の音とされてきた。
西洋的なピッチのよさ、などとはまるで意味合いは違っている。
日本人としての美意識、無常感、生活、歴史と、こうした価値感は無関係であるはずがないと思う。

・・・結局、例えば音色のよしあしも、うまいへたも、
生活の中での美意識や人生観を育んできた中で、非常に個人的、民族的な欲求の中、(さまざまな意味での)文化の中の用語として、使われ、育まれてきたのだと思う。

・・・もちろん、音楽においては、一瞬の、非常に「個人的な」リアリティー、個と個の出会いも、大変重要だ。
その一瞬に、貴方は&私はどんな可能性を見出だしどんな声を聞き出しどんな声を紡ぐか。(スタイルはもはやなんであれ!)
・・・ジャズの醍醐味は、その普遍性から、「個人」の持つ可能性や会話の在り方を広げ、自由にし、時に軽々と人種、国境、文化、時代を超え得る。
だからこそ楽しい!というのは、また、強い事実だ。

しかし同時に、その一瞬という点は、やはりさまざまな空間、時の中で、そこにある。
(地域や職業や生活スタイルの差といった区分けによる文化や価値観だけでなく、より根源的な、意味合いにおいても。)

その大きな流れを無視して、
本当の、音楽はあり得ない。


私達のリアリティーは何か。

例えばイディオムやスタイルすら、もっと自己の中に探求し直すべきではないのか。
なぜ、今、このスタイルをとるのか?
借り物ならぬ、自分自身との戦いや生々しい生活と文化、生の実相こそが、
音楽ではないだろうか。

では、そのとき、果たしてわたしは、たとえば音楽家としては、なにを弾き、なにを作曲し、なにをすればよいのだろうか。

今という時代の中で、
矛盾や混沌を抱えながら、
この現代の、不可思議な日本の「日本らしさ」、
そして脈々と連なる日本人としての美意識、感覚、
・・・そんななか、何が、私達にとって、ときに民族的な、ときに非常にパーソナルな、リアルな欲求としてわきあがってくるだろうか。

そして、それは、具体的には、どんな音楽、文化をうみだしてゆくのか。

また、それらは、例えば国や人種、文化、時代を越えた(もはや身近になったあらゆる)存在たちと、どのように出会い、触発しあってゆくべきなのか。

・・・・・・・
それらに、微力ながらも、一人の人間、日本人としてまっすぐ向かいあい、
非常にリアルな何か、およびそれを表す方法、を、探ってゆきたい、と思う。

・・・・・・・
秋。
虫の声が聴こえます♪
急に固~い長文徒然すみません!
おやすみなさいー
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プロフィール

中島さち子

Author:中島さち子
(ピアノ、キーボード、作曲)
都内周辺のライブハウスなどを中心に活動中。自己のtrioや☆∞※★&♭(ZADI)などでは、自作曲を中心に活動している。
2010年2月より、中島さち子Trioの初CD「REJOICE」絶賛発売中。
rejoices


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